日本アニメ界の宝、高畑勲が死去
また、才能に溢れた方が亡くなられました。
死因は肺ガンだそうです。
私は、昨日、海外の方の『火垂るの墓』に対するリアクション動画をYouTubeで観ていました。
何か虫の知らせの様で、不思議な気持ちになりました。
以下、引用
宮崎駿監督と並ぶ日本アニメーション界の巨匠で、「アルプスの少女ハイジ」や「火垂るの墓」などの作品で知られる、アニメーション作家で監督の高畑勲さんが,5日、都内の病院で亡くなりました。82歳でした。
高畑さんは三重県出身で、東京大学文学部の仏文科に在学中、フランスの長編作品「やぶにらみの暴君」に影響を受けて、アニメーションの世界に関心を持つようになりました。
昭和34年には東映動画、今の東映アニメーションに入社し、昭和43年にアニメーション映画の金字塔とも言われる「太陽の王子ホルスの大冒険」で初めて監督を務め、注目を集めました。
昭和46年には後輩の宮崎駿監督とともに退社して、会社を移籍しながらテレビシリーズの「ルパン三世」や「アルプスの少女ハイジ」、「母をたずねて三千里」それに「赤毛のアン」などの作品を手がけました。また、宮崎監督の「風の谷のナウシカ」にはプロデューサーとして参加し、人間と自然の関係性を壮大なスケールで描き、高い評価を受けました。
昭和60年には宮崎監督とともにスタジオジブリを設立し、その3年後に公開した野坂昭如さん原作の映画「火垂るの墓」では戦争に翻弄される兄と妹の姿を描き、モスクワ児童青少年国際映画祭でグランプリを獲得しました。
その後も、「おもひでぽろぽろ」や「平成狸合戦ぽんぽこ」、それに「ホーホケキョとなりの山田くん」など社会的なメッセージが込められた作品を多く発表しました。高畑さんは平成21年には、ヨーロッパの伝統ある映画祭、スイスのロカルノ国際映画祭で、映画界への長年の貢献が評価され、名誉豹賞を受賞しました。
さらに、平成25年に14年ぶりの長編映画「かぐや姫の物語」を発表し、その独特な映像美が話題となって、後にアメリカのアカデミー賞にノミネートされたほか、平成26年には、世界最大級のアニメーションの映画祭、フランスの「アヌシー国際アニメ映画祭」でアニメーション映画の発展に貢献してきた監督に贈られる「名誉クリスタル賞」を受賞するなど、国際的にも高く評価されてきました。
また、平成27年にはフランスの芸術文化勲章を受章し、高畑さんは「名誉ある勲章をいただき大きな誇りを感じる」と喜びを語っていました。
関係者によりますと高畑さんは、5日、都内の病院で亡くなったということです。82歳でした。
大塚康生さん「残念でしかたない」
「ルパン三世」や「未来少年コナン」などで高畑さんと仕事をともにしたアニメーターの大塚康生さんは、「残念でしかたがない。あれほどの才能のある方はほかにいない。たくさん思い出があり、ひと言では語れないが、とても物知りな方で話が合ったのを覚えている。仕事では意見をはっきり主張する人で、僕が話を聞くばかりだった。思い出が多すぎて本当に言葉が出てきません」と話していました。
以上、NHK NEWS WEBより引用
NHK NEWS WEB
更に引用
アニメ監督の高畑勲さんが5日亡くなった。20代の頃から宮崎駿監督とともに作品を制作。日本のアニメ文化の向上に貢献し続けてきた。国内外から悼む声が相次いだ。
長年、高畑監督とともに仕事をしてきたスタジオジブリの鈴木敏夫プロデューサーは「やりたい事がいっぱいある人だったので、さぞかし無念だと思います。宮崎駿とも相談し、ジブリとして盛大なお別れの会をとり行い、見送ることにしました」とのコメントを発表した。
丸っこい「ハイジ」、リアルな「おもひでぽろぽろ」、粗い描線の「かぐや姫」。高畑さんは新作のたびに新しいスタイルを追求した。「同じことはしたくない」と実験に挑んだ結果だ。自分のスタイルを崩さず深めていく宮崎監督とは対照的だった。
大ヒットアニメ「この世界の片隅に」で、戦時下の庶民を描いた片渕須直監督は「道しるべとなったのが『火垂(ほた)るの墓』だった」と語る。「高畑さんの子ども時代の体験が反映されている。戦争を経験していない我々がどうすれば『火垂るの墓』に追いつけるのかと必死になりました。高畑さんは『この世界の片隅に』を繰り返し見て下さったようで、『エールを送ります』との言葉をいただいたのが何よりうれしかった」
また片渕監督は高畑さんを「子どもだけでなく、大人も楽しむようになった今日の日本アニメーションの隆盛を築いた一番のキーパーソン」だという。「センスで作るのではなく、作品の中にセオリーを置いて人物を描く唯一の人とも言える。かつて宮崎監督の下で仕事をした時、宮崎さんは『こういう場合、パクさん(高畑さん)ならどうするかなぁ』といつも言っておられた」
森羅万象に幅広い知識と関心を持っていたことでも知られる。詩人の谷川俊太郎さんは「古今東西の美術作品について高畑さんが書いた評論を愛読していました。美術への造詣(ぞうけい)の深さを背景にアニメを制作していた。そこが他のアニメ作家とは異なっていた」と話した。
スイス・ロカルノ国際映画祭で名誉豹賞を、仏アヌシー国際アニメ映画祭で名誉功労賞を受けるなど、海外でもその作品は広く知られている。仏ル・モンド紙の電子版や、米国の映画情報サイト「インディーワイヤ」など海外メディアでも、死去のニュースが報じられた。
5日に亡くなった高畑勲監督は1990年夏、映画「おもひでぽろぽろ」のロケハンのために山形県内を訪れていた。山形市のシネマパーソナリティー荒井幸博さん(60)は、山形で開かれたシンポジウムを通じて高畑監督と知り合い、鈴木敏夫プロデューサーやスタッフとともに、山形市の紅花畑や山寺などを案内した。高畑監督が自ら白いハンカチに紅花染めをし、色を確かめていた姿が印象深いという。
荒井さんは「細部までこだわってリアリティーを非常に追求しながら、人を見つめるまなざしの温かさも感じた。まだまだ新作を撮れると思っていたので、本当に信じられない」と話した。
以上、朝日新聞デジタルより引用
朝日新聞デジタル
今では万人が知っているスタジオジブリも、高畑勲監督の『火垂るの墓』と、宮崎駿監督の『となりのトトロ』が同時上映された1988年当時は、一部のアニメファンにしか認知されていませんでした。
私は有楽町のマリオンへ既に2、3回は『火垂るの墓』と『となりのトトロ』を観に行っていましたが、久しぶりに会った友人達と映画を観る話になり、『火垂るの墓』と『となりのトトロ』を観ようと勧めた所、大笑いされました。おそらく彼らは私が冗談で子供用のアニメーションを観ようと言ったのだと思ったようです。まあ、アニメと言えばそんな認識でした・・・
その後の『おもいでぽろぽろ』も大好きな映画でしたし、何より私が愛した『ルパン三世』(俗に言うファースト・ルパン【緑ジャケット】に宮崎駿と共に途中から参加)や、宮崎駿が初めて監督したNHKのテレビシリーズ『未来少年コナン』(宮崎監督の全作品中、一番のお気に入りです)の演出や宮崎氏への手助け等の仕事が印象に残っています。
そんな訳で、もう高畑監督の新作を観ることはできませんが、彼の残した作品の数々は今後も強い影響力を持ち続けて行くことでしょう。
動画は『火垂るの墓』を観た海外の方のレビューをまとめたものです。
タグ:高畑勲 訃報